DRIFTING ON THE NAKAGAWA
2001.12.20
転覆隊公開大忘年会
 12月10日,転覆隊公開大忘年会の当選者発表日から1週間,本来はFaxで届くはずの当選案内が,フレーベル館の封筒で送られてきた。
 ビール艦長の当選分で参加できる予定ではあったが,これでつっぺり隊として堂々と参加できるのだ。
 しかし,当日は2学期の終業式前日。勤務終了後,速攻で特急に飛び乗ったが,開始から30分ほど遅れての到着になってしまった。
 会場は超満員の立食パーティで,すでに朝比奈軍曹の瀬太鼓が終わり,転覆ライブが始まろうとしていた。 
 前座として,沈没隊が「雨上がりの夜空に」を熱唱すると,会場は瞬く間に熱気に包まれていった。
 続いて,江戸っ子テツさんと雄叫びの西橋さんの転覆ブラザーズが
♪おいらは河原の転覆おじさん,今日も笑って沈をする〜♪
と「転覆おじさん」を熱唱すると,ライブハウスは一気にヒートアップしたのだった。

 
 転覆ブラザーズの白熱ライブのあと,しばしの歓談タイムがあったのだが,ここでのんびり飲み食いしているわけにはいかない。本日のワシらの使命は本田隊長につっぺり隊を正式に公認してもらうことにある。そのためのグッズとして,色紙2枚,筆ペンは極太と巨筆の2本,つっぺり隊旗も天然木の竿持参で本田隊長にアタックをかけた。
 本田隊長はワシを見るなり,「あれ,前に会ったね」と昨年のBE−PALでの転覆イベントで会ったことを覚えていてくれたのだ。おかげで,つっぺり隊の公認の言質もあっさりと取り付けることができ,Tシャツを作るための文字も気持ちよく書いてもらうことができた。
さらに,野田知佑親分も参加しており,転覆隊とつっぺり隊との集合写真も撮ることができた。
つっぺり隊は隊長のワシと副隊長,田崎ビール艦長,ことのすけ隊員,それから爆食していた真理子隊員が参加したのだ。
しかし,山崎まゆみさんは可愛かったなあ。
 続いて,転覆隊の秘蔵写真が本田隊長のユーモアとセンスのあるタイトルコメント付きで公開され,
そのあと,それらの写真から今年のMVP&石川賞が参加者全員の多数決で選出された。
 MVP賞は、その年もっとも活躍し感動を与えてくれた者に与えられる。
 石川賞は、その年もっともカッコ悪く、みんなを笑わせてくれた者に与えられる。
 (石川賞は92年まで、フォトジェニック賞と呼ばれていたが、カッコ悪さを明快にするために石川社員の名前を取ったのだった。)
若かりしころの転覆隊と現在の転覆隊。
本田隊長江戸テツさんは本当に若かった。
このころからカヌーをやっていたんだね。
黄本に載っている千曲川でのリンゴ園襲撃事件の問題写真か?これはりっぱな犯罪ですとの隊長のコメント。
冬山滑落バトルでの一コマか?
でも,隊長は本当寒そう。
 数々の写真を今度はいろんな角度から分析しそれを数値に表して解説。
 左は転覆隊本のグラビアページに採用された写真に誰がどのくらいの確率で選ばれているかを示した物。このあたりの発想や企画力はさすがに天下の広告代理店だなあと感心させられることしきりであった。
今年度のMVP賞に選ばれたトライアスロン宍倉隊員。
石川賞に選ばれた朝比奈軍曹。
どちらも初受賞である。
 最後に,恒例の噂の転覆ビデオが公開された。今年は100分の超大作であった。
専門の業者に職権を振りかざして作らせているので,かなり凝った内容であり,爆笑の連続であった。
終電の関係で,ワシと副隊長と人間ラジオ改め大和なでしこ真理子隊員は途中で帰らねばならなかったのだが,
その旨を本田隊長に告げると,わざわざ出口まで見送ってくれ,一人一人にTシャツを渡しながら
「また遊びましょう」と力強い握手をしてくれた。 
 天下の一流企業のサラリーマンがここまで真剣に遊んでいるのかということが改めてビシバシと伝わってきた忘年会であった。帰りの電車の中でも,ワシらももっともっと遊ばにゃいかんなあとしみじみと感動されられた夜であった。
 転覆隊のみなさん,ありがとう。これからも転覆道を極めてがんばってください。
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