DRIFTING ON THE NAKAGAWA
2003年初漕ぎで那珂川沈率10割選手誕生!03.3.8〜
 


 2003年の初漕ぎは、18号歌舞伎やす隊員の経営(?)するDUCKS CANOE CRAFT HOUSE 1周年記念祭を兼ねて那珂川で実施した。さらに、今回はオーダーメイドのつっぺりウインドブレーカーの着初めも兼ねているのだ。コースは若鮎大橋〜宮原キャンプ場。途中、無法松の瀬の下流で昼食。ここではぎっくり腰で船に乗れない16号ことのすけ隊員が陸援部隊として昼食を作って待っていてくれることになっていたのだが、計画通りにうまくいった試しのないのがつっぺり隊。さて、今年のつっぺり隊を占う初漕ぎはどんなハプニングが待ち受けていたのか?

 つっぺりウインドブレーカーを手に入れるために、ぎっくり腰をおして秋田からはるばる片道450kmの道のりを奴隷志願兵2人を引き連れて駆けつけたことのすけ隊員。往復で900kmだぞ。全く何てバカな…いや、何て素晴らしい隊員なのだろう。
 全員で着揃うと、どこかの組の集会のようで実に怪しい。

 今回は若鮎大橋下の河原からエントリーした。
参加隊員は左から
13号コロコロ隊員
16号ことのすけ隊員
秋田奴隷志願兵佐藤
秋田奴隷志願兵畠山
4号真理子隊員&つっぺり犬のん&カン
20号ろーたす隊員
21号コースケ隊員
23号tera隊員
ろーたすジュニアみすずちゃん
18号歌舞伎やす隊員
そして、写真を撮っているのが隊長である。
 雪をかぶる雄大な那須連山を背景にゆったりと初漕ぎを楽しむウッドカヌー部とインフレータブル部の隊員たち。
 しかし、ウッドカヌー部の勇姿を写せたのはこれが最後であった。この後どんなひどい目に遭うかも知らずに…。
 昼食は、クリスタル腰で船を漕げないことのすけ隊員が陸援部隊として、民宿無法松前の河原で特製そばを作って振る舞ってくれた。
 ここは、昨年の春のツアーでことのすけ隊員と真理子隊員が航行不能の沈をし、救援が来るまで民宿前で数時間待たされたという因縁のある場所である。以来、つっぺり隊ではここの瀬を無法松の瀬と呼んでいるのだ。

 さて、ここからが今回のツアーのメインイベント、ウッドカヌー部全滅の図である。雪解け前とはいえ、身を切るような冷たい川の中をtera隊員が「冷めてー」と叫びながらコースケ隊員と共に流されるわ流されるわ。ウッドカヌーは、一度ひっくり返ると重くて引っ張るのも容易ではない。まさに流されるままなのだ。
 そこに急行したのがインフレータブル部のメンバー。もちろん、助けるためではなく、写真を撮るためである。流れの中で必死の沈者に向けて容赦なくカメラのシャッターを押し続けたのだ。隊長の号令も「行けー、写真を撮れー」である。これがつっぺり隊なのだ。
 ゴールの宮原キャンプ場直前で沈する歌舞伎やす隊員と奴隷志願兵畠山。なにもここまで来て沈せずとも良いものを。全くサービス精神が旺盛な隊員である。
 奴隷志願兵畠山は那珂川初沈でガッツポーズをとりながら流されていった。なかなか見所のある奴である。
 沈して流されている姿も感動的であるが、やっとの事で浅瀬に流れ着き船を回収する姿にも胸を打つものがある。やはり沈は川下りの華である。沈なくして何の川下りぞである。
 今回のウッドカヌー部全滅で新たな事実が判明した。それは21号コースケ隊員は那珂川では全ての川下りで沈をしていると言うことである。那珂川沈率10割。これは実においしいキャラクターである。以後、つっぺり隊の那珂川ツアーには必ず参加させなくてはなるまい。

 那珂川で沈の華を咲かせた後は、河原居酒屋つっぺり亭のオープンである。さらに今回はことのすけ隊員が韓国風ちゃんこ鍋に腕をふるい、コースケ隊員とtera隊員がつっぺりうどんを打ち、隊員の腹も心も満たしてくれたのだった。
 さらに、今回ことのすけ隊員とともに秋田からはるばる参加してくれた奴隷志願兵畠山$佐藤は晴れてつっぺり隊員となる。しかも、4号つっぺりクイーンのしもべとしてつっぺり犬の世話をするという仕事まで与えられて喜ぶ二人。全くアホとして言いようがない…いや、なんて素晴らしい隊員であろう。秋田支部はこれで奴隷が3人。いやはやなんとも…。
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