DRIFTING ON THE NAKAGAWA
命の洗濯に来たはずの久慈川で埋没、沈、流失、廃棄と散々な目に 04.11.13〜14
埋没
 今行かねば、今年はNo Canoe Yearになってしまうという副隊長となぞちゅう隊員の悲痛な叫びに応えるべく、発作的に久慈川に出撃した。名付けて「久慈川紅葉ツアー」
 以前から2年前の初沈のリベンジを果たしたいと切望していたろーたす隊員も娘と二人で駆けつけ、隊員4人とキッズ1名の5名でのツアーとなった。
 夜更けまで飲んでいたなぞ隊員をピックアップするため、到着が遅れるという副隊長を上小川橋下流の河原で待っていると、1時間半の遅れでやっと到着した。
 「やれやれ、やっと来たか」と、思いきや、いきなり副隊長車の左フロントのタイヤが河原に埋没してしまった。前日までの雨で思った以上に河原がゆるんでいたのだ。
 砂をかきだし、木をタイヤに咬ませて脱出を試みるが、ますます深みにはまるばかり。ロープを架けて車で引いてみても、全く動く気配無し。
 しかも、後ろのハッチドアが、車がゆがんでしまったために、閉まらなくなってしまっている。
 「こりゃァ、もうワシらの手には負えん。JAFを呼ぶしかないっしょ。」
ガックリと肩を落とし、身も心も車もズブズブと沈み、JAFと連絡を取る副隊長に、
「ハッチドアも修理するしかないなあ。板金7万円コースだな。」
と明るく追い打ちをかけるワシ。
   しかし、この一言を久慈川の神様はまたもや聞き逃していなかったのだ。後にこの7万円を自分が支払う目に遭おうとは…
 結局、副隊長車は、2時間後に到着したJAFの牽引によってあっさりと引き上げられ、それと同時にハッチドアも自然に元に戻って直ってしまったので、かかった費用は0円であったというのに…
沈、そして流失
 JAFが来るまで時間がかかるというので、副隊長となぞ隊員をあっさりと河原に残し、ワシとろーたす父娘でショートツアーに出ることにした。このドライな関係もつっぺり隊ならではである。
 出発地は、昨年の河原サラリーマン誕生の地からとした。約6kmくらいのコースである。
 ワシがボイジャーを、ろーたす父娘がハイビックスを組み立て、川に乗り出した時には1時半近くだった。
 昨日まで降っていた雨のせいで、水量も多く、天気は雲一つ無い。快適なツアーになるはずだった。
 ところが、出発して200mも行かない瀬も何にもないところで、いきなりワシの船のバランスが崩れた。隠れ岩に引っかかったのだ。あっという間に横転して沈。
 あまりのいきなりの沈に「何だ?どうしてだ?」とパニクっていると、目の前をワシのデジカメがプカプカと流れていく。「まずい!取りに行かなくては」と足を踏み出すと、いきなり深くなっていて足が着かずに水没してしまう。
 どうしようもなく、前を行くろーたす隊員に
「デジカメを回収してくれー!」
と叫ぶが、流れが思った以上にきつく、中央の岩のエディでクルクル回っているデジカメは見えるものの、ろーたす隊員も自分の船のバランスを維持するのに精一杯で、近づくことができないでいるうちに、デジカメの姿が見えなくなってしまった。
 とりあえず、下流の岸に船を着け、デジカメが流された辺りを見に行くが、全く見つからない。デジカメはでじ亀になって久慈川の住人になってしまったのだ
 結局、防水ケースと合わせて約7万円が川の藻くずと消え去ったのである。
「ああ、あの7万円コースというのは、ワシが支払う金の事だったのか、トホホホ…」
 教訓!人の不幸を笑うものは川の藻くずと消え去るのだ。
 まあ、無くなってしまったものはしょうがないと、気を取り直して、シャモの瀬に挑む。今日のシャモの瀬は、降り続いた雨で水量2倍増し、いつもよりたくさん波をつくっておりますという豪華版であった。次から次へと襲いかかる波を夢中で打ち蹴らして何とか乗り切り、息を切らして淀みに取り付く。  振り返って、シャモの瀬を眺めながら、「あー、怖かった。ここで沈しなくてよかったあ。」と思うとともに、スリル満点の瀬を乗り切った満足感に気分が高揚しているのを感じる。
 後から続いてきたろーたす艇も波を飛び跳ねながら豪快にクリアする。
 シャモの瀬最高!である。
 その後も、何度か隠れ岩に乗り上げたり、厳しい瀬が続いたりしたが、深まる紅葉を楽しみながら、気持ちのいいツアーが続いた。
 ところが、副隊長車ももう復旧作業が終わっただろうと、先を急ぎ、あのカーブを曲がればゴールだというところで、またもや2度目の沈をしてしまった。
 
 流れが崖にぶつかって直角に曲がっていたので、流れから抜けようとしたのだが、流れの脇は全部浅瀬になっていて、そっちに行くと乗り上げてしまう、どうしようかと迷っている間に、流れのまま崖に正面から激突し、もんどり打つ形で船が180度ひっくり返ってしまったのだ。まさに、絵に描いたような沈である。  完全にひっくり返り、腹を見せた船にしがみつき、
「ここまで完璧に沈したのは初めてだなあ。うーむ、くやしいー」
と叫びながらも、なぜか心は爽快感で満たされていくのであった。
 水抜きをして、一漕ぎすると、救助された車の脇でのほほんとくつろぐ副隊長たちが待っていた。
廃棄
 2度の沈ですっかり体が冷えてしまったので、風呂に行くことを提案すると、何をすることもなく待っていた埋没組も一も二もなく賛成する。スタート地点の車をピックアップしながら近くの関所の湯で温まる。
 
 風呂帰りに、農産物直販センターに寄り、夕飯の食材を買い出す。こういうキャンプでは現地調達が原則だ。 奥久慈シャモ肉を使ったシャモ鍋を副隊長となぞちゅう隊員が、シャモの焼き鳥をろーたす隊員が、そしてワシはたこ焼きにチャレンジした。
 焼き鳥とシャモ鍋はなかなかの味であったが、たこ焼きは形が丸くならず、味も焼くたびに固かったり生だったりと苦労したが、中にはこれはうまいというのも焼き上がった。成功率は3割程度か。まだまだ修行が必要である。  車の埋没、W沈、デジカメ流出といろいろあったが、風呂に入って、いい焚き火にあたりながら、いい酒を飲めば、そんなことは全て焚き火のいいネタ話となる。それがキャンプの魅力なのだ。
 ほろ酔い気分で、昭和生まれのおじさん達は、懐かしのフォーク・ロック弾き語り大会へと突入し、怪しい夜は更けていったのだった。
 翌朝は、雨。これは飯を食ったら早々に退散するしかないと、昨晩のシャモ鍋の残りを使った力うどんをつくることにした。
 しかし、後片付けをしながら作ったために、入れる具をろくに確認しなかったことと、焚き火の火力の強さを計算に入れていなかったことで、とんでもない鍋になってしまった。
 具が煮立ったところで餅をいれ、さあ、食おうと思ったら、うどんを入れていないことに気付く。あわててうどんを投入したが、時すでに遅く、焚き火の火力でゲル状化した餅が鍋全体を支配しており、うどんに汁が染みこんでいかない。水を足していくら煮ても、うどんは半生のまま。チーズ・フォン・ヂュならぬモチ・フォン・ヂュである。
  「うーむ、この味は未知との遭遇だなあ。」
「普通、うどんは何をしても食えるんだけど、このうどんだけは全く箸が進まん。」
しばし、鍋を囲んで今後のこの料理の進退について最良の選択は何かと思案したが、現状は如何ともしがたく、出た結論は、
よし、廃棄、決定!
であった。 
 こうして、つっぺり隊始まって以来の食前廃棄鍋が誕生してしまった。副隊長車のスタックに始まり、デジカメ流失、最後は廃棄鍋とまったく散々な久慈川紅葉ツアーであったが、なぜか、心は楽しい気持ちで満たされていた。失敗すればするほど楽しい、そんな人生が心を豊かにしてくれるのだ。それがつっぺり隊なのである。
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