DRIFTING ON THE NAKAGAWA
初代つっぺり亭料理長−第16号ことのすけ隊員追悼ツアー 2015.5.23〜24
 今年の五月場所はいつもとは違うツアーとなった。それは,つっぺり隊初代料理長として数々の伝説を残してきた16号ことのすけ隊員が,昨年の暮れに急逝してしまったのだ。その日はまさにワシらが宮原で河原忘年会でバカ騒ぎをしていた12月29日。彼は地元秋田で48歳の若さで病魔との戦いに終止符を打ち,その生涯を閉じた。
 あまりに早い,そして,つっぺり隊にとってあまりに悲しい彼の死を悼み,彼が初めてつっぺりツアーに参加した思い出のこの五月場所で,彼の伝説についてみんなで語り合うためのツアーを実施したのだ。
 そのため,彼の幼なじみであり盟友である畠山隊員に10年ぶりに参加してもらった。また,富山からビール艦長,久しぶりにもどってきた歌舞伎やす隊員や真理子隊員も駆けつけ,久しぶりに初期メンバーがそろったのだ。
 いつも通り前日乗り込み組のkei50,無謀松,ゴステロ隊員は夜中の3時まで飲み明かす。相変わらずバカである。ARCからNPさんが朝から参加。ろーたす隊員は軽トラックで廃材を,隊長は燃えにくいイチョウの木をしこたま持参し,焚き火の準備は万全である。夜のことのすけ隊員追悼上映会用のスクリーンも準備する。
 いつもの八溝大橋をスタート川下り開始。富山から駆けつけたビール艦長と,埼玉からのんびり出発のえぢそん隊員はここで合流。総勢9人での追悼川下りとなる。
 この日は全くの好天で,気温も急上昇。水量もかなり少なく,最大の難所の無法松の瀬も迫力に欠け,全員クリア。すぐに中州で河原昼食をとる。
「こんなに水量が少ないんでは,今日はポーテージが辛そうだけど,沈はないだろう」と高をくくっていたのだが,どんな水量でも沈ができるのがつっぺり隊の強み?なのだ。実はこの後に沈のラッシュが始まるのである。
まずは,kei50隊員が,無謀松隊員にそそのかされてロールの練習を始めたら,ロール仕切れずに沈脱。
続いて,川下り初体験の陽ちゃんが瀬を乗り切った後に初心者にありがちな油断沈。
最後は,スプレーカバーを忘れたのに平気だろうと瀬を甘く見ていた隊長が,突入した瀬の波が全部浸水し,水船状態となったところでバランスを崩し自業自得沈。
しかし,3人とも沈した後は笑顔で流されていった。5月の那珂川は沈するには最高に気持ちのいい川なのだ。沈なくしてなんの人生ぞである。
 その後は,ゆったりまったりとことちゃんを偲びながら5月の那珂川を思い思いに下る。一番沈を期待した川下りビギナーのNPさんが思いの外バランス感覚が良く,全く問題なく瀬を笑顔で乗り越えていたのが残念であった。
 川下りから宮原に上がると,婚約したばかりの真理子隊員夫妻と久しぶりの参加のterraさん,さらに,10年ぶりの参加となる畠山隊員が既に待っていた。遅れて歌舞伎やす隊員も到着。懐かしい顔ぶれがそろい,思い出話が盛り上がる前に,とりあえず再会を祝して乾杯をする。
 夕食では,初めての料理にチャレンジする者が続出する。NPさんが野外天ぷらに,そして,えぢそん隊員は手作りの製麺機を持参してうどん作りチャレンジ。いずれも成果は上場であった。
 ひとしきり食した後で,いよいよことちゃん追悼上映会を開始する。隊長がことちゃんの素晴らしさと感謝の口上を述べる。もうその段階で涙ぐむ隊員も見られる。この日参加した隊員の半分はことちゃんを知らない世代なのだが,ことちゃんの伝説の数々が写真で上映されるにつけ,改めてことちゃんの偉大さを思い知るのだった。ことちゃんが好きだった焚き火を盛大に燃やし,みんなでことちゃんの冥福を祈る。ことちゃんの魂はいつまでのワシらの心の中に,そしてつっぺり隊とともに永遠に不滅なのだ。ことちゃん,ありがとう。そして,これからもいつまでもワシらを見守っていてくれい。
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