5月24日から5月29日までの6日間の予定で、中国は天津を目的地とした出張に行ってきました。 |
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入国編(5.24〜5.28) 帰国編(5.29〜6.5)へ | ||
5月24日(土) 入国後2時間での大つっぺり?! |
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さてさて、最近は慌しい。 5月のGWはつっぺり西伊豆野良生活ツアーに始まり第2週の週末は何とか休んだものの、17、18日は新島でトライアスロン、そしてその翌週が中国出張である。しかも朝は会社のチャリティーイベントがあり皇居の周りを歩く、走る、2周走るというイベントのカメラマン役を引き受けていたのだ。 まぁまぁ時間を追いながら、回想していくことにしよう。 わーぉ、明日はチャリティーイベントで朝9時前にはオフィスに行かなくてはならないのに。。。しかも、まだ出張の準備全くやっていない…帰宅後急いで出張の準備を。 更にカメラの準備もしなくてはならない。もっともカメラについては、どっちみちイベントのカメラマンを引き受けていなくても、出張には持っていくつもりではあったが。 今回の出張は土曜(24日)に出て、木曜(29日)には帰ってくるのでさほど長い出張ではないため、なるべく軽量化を図ったが、もともと欲張りで荷物持ちな面が強いため、結果的に思ったほどは軽量化を図れず荷物もそこそこの量になってしまった。 カメラのカード(1枚2GB)についても、チャリティーイベントで撮ったものはPCのHDD内に保存してしまえば、中国ではまるまる使えるので、1枚で十分かな?とも思ったが、念のために2枚用意した。そもそも土曜は夕方の飛行機だし、日曜丸一日だけしか観光には使えないのだ。1枚160枚ちょっと撮れるので、まぁ2枚で360枚あれば、ケニヤ見たいに動物を撮る訳ではないので大丈夫なはずだ。 まぁそんなこんなで、時計を見ると、何と4時頃になっているではないか!睡眠不足には人一倍弱いのに、こりゃまずい!急いで寝ることに。 朝は7時に起きる。案の定、眠くてしょうがない。体もだるい。3時間寝ているかいないかである。 食事を済ませ、電車に乗り、オフィスへ。 9時過ぎにある程度メンバーが揃ったところで皇居に移動。 ランは5キロ終えたところで、21分。いつもよりは遅いが体調からすればまぁこんなものであろう。ただし、天気が良かったのに、帽子を忘れていたため日差しで走っている間かなりきつかった。しかも時々ふらふらするし。 ここでも止めればよかったのだが、やはり5キロというのは中途半端だな、ともう一周走り出す。 ゴール直前の写真(結果的にこの格好のまま成田エクスプレスにダッシュで乗り込む) それでも何とかゴールは果たした。 更に11時50分には一緒に行くことになっているOさん(以下Oと記載)と東京駅前のもうひとつのオフィスビルで待ち合わせをしていたのである。 タクシー内でOに電話する。Oももうすぐで約束のエレベーター前に着くとのこと。もう時間がないので、直接電車に向かおうと話したが、通話状況が良くなかったらしくOは東京駅でも少しまっていたようだ。 ひとつ遅れても便には影響はないと思われたが、次の便で座れる保障はないし、電車ではもう一人Tさん(以下Tと記載)と待ち合わせをしていたのだ。 車内ではチャリティーには参加しなかったTにチャリティーの写真を見せる。 空港に着いたら、早速3脚を買いに空港内のお店に。 ふと、そこで思い出した。 何はともあれ、無事飛行機に乗り、いざ北京へ。 フライトはほぼ3時間半であった。成田をほぼ16時に離陸し、北京には現地時間で18時半頃到着。 到着したターミナルは第3ターミナルといって新しいターミナルだった。 北京空港 入国審査も終え、荷物もピックアップし、早速人民元に両替をした。 日本円で2万円分を両替したのだが、その際にパスポートの提示を求められた。両替で求められるのは違和感を感じたが、とりあえず提示し人民元を受け取った。念のため手元の人民元と両替の領収書の額を見ると50元ほど手元の人民元が足りなかったので、係りの人に言うと、手数料だとのこと。やや腑に落ちないものを感じたがまぁしょうがない。 途中出口に向かう前に、コンビニでのどが渇いたのでポカリスウェット(500ミリ)を買う。5元位(75円位)だったと思う。空港内なので、やや高めなのだろうが、やはり安い。 そして、みんなで市内までバスに乗っていくことに。バスのチケットは確か15元(230円位)位だったと思う。 市内までは40分ちょっと位であったろうか。2つ目か3つ目の停留地で私とOの二人は降りた。Tは北京の友人宅に宿泊するとのことであり、Tとはバスで別れた。 Tは北京で働いていたこともあり、万里の長城よりも久しぶりに友人に会う方が大事であったのだろう。Oも中国出身であるが、北京はほとんど初めてに近く万里の長城へは行ったことがないとのことだったため私と一緒に観光することになっていた。つまりOもTも二人とも中国人である。 バスを降りてすぐにタクシーに乗り換える。 少々歩いたが、OとTがお勧めの北京ダックの店でご飯を食べ、マッサージにでも行こうか?というような話をしているうちに、無事宿についた。 宿に着いて、チェックインのためパスポートの提示を求められる。 Oにもその旨話すと、Oは空港に電話してくれたが、今のところ空港にはないとの返答だった。えっ?とも思ったが、まだ届いていないだけかもしれないので、とりあえず届いたら宿まで連絡をくれるようにと伝言しておく。 ところが、宿のスタッフが、パスポートがないのでは宿泊させる訳にはいかない。また、荷物も置いておかせるわけにはいかない。と言い出した。 パスポートがないということで既にこちらは面倒な状況であるのに、そんな状況の人間に対し宿泊させないってのはどういうこと?と聞くと、今北京はオリンピックに向けて治安を良くする為に、身元が明らかにならない人間の宿泊はさせてはいけないことになっているらしい。パスポートのコピーがあったので、とコピーを見せると、本物でないと駄目だといわれた。 とりあえず、Oはチェックインできるので、Oのみチェックインして、それから私のパスポートの件は考えることにした。 Oが部屋に行っている間に、確かガーナかどこかのアフリカの国から来ているというウビーという人と話をしていた。 私が日本人だというと、ぜひ日本から招待状を送ってくれと言ってきた。彼らの国ではいきなり日本へは行けないようなことを言っており、知り合いなどから招待があれば行けるというようなことを言っていた。 それからどういう話の経緯だったかは忘れたが、警察官を宿のロビーまで呼んだ。 しかしその警官との話の中で、空港内でパスポートをなくしたと主張すれば、空港内の公安でパスポート紛失証明みたいなのを発行してくれるのでそれで北京市内の宿に宿泊は可能なはずだということを教えてもらい、Oと再度空港に向かった。 しかし宿に到着しチェックインをする前からこれだから、ほんと参った。 空港に向かう途中でOがTに電話し、バスにパスポートを落としていなかったかと聞いてくれるが、当然落としていない。もし落としていたら、いたずらでもない限り、教えてくれるはずだし。 むしろTはそれだったら、Tの友人宅に泊まれば?と言ってくれていたが、さすがにそれは申し訳ないので、断っておいた。 空港には30分もしないうちに着いた。 仕方なく空港内の公安を後にし、念のため落し物センターのようなところに行くが、やはりないとのこと。 それから、いくつか宿を訪ねるもパスポートが無ければ宿泊はできないの一辺倒の返事。 結局Tに連絡して、Tの友人宅に泊めてもらうことにした。 Tの友人宅では、シャワーを借りて、更にはご飯も出してもらった。 ソファーにでも寝かせてもらおうと思ったら、その友人が自分の寝室を貸してくれた。自分はソファーで寝るようである。 既に予定起床時刻の6時半過ぎまで5時間を切っている状況ではあったが、快適に寝ることが出来た。 しかし忘れ物ばかりの一日であった。 |
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5月25日(日) 念願の万里の長城へ |
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朝6時40分起床。 天気は良かった。 バスに乗って気づいたが、外国人は自分だけだった。バスの中のガイドさんも中国語のみ。とはいえ、Oが訳してくれるので全く困ることは無かった。 もしかしたら、昨日の件も睡眠不足でぼーっとしていたのも大きいが、OやTがいるためなかなか言葉の通じにくい中国に来ているという感覚を失い油断していたのかも知れない。二人のおかげで、本当に言葉の面では楽だった。 移動中にのんきな日本の同僚から電話が入る。その後パスポート見つかりました?と同僚。いや見つからないよ。でも今日は何もしようがないので、楽しんでくるよ!と返答し、電話を切る。国際電話な上に、携帯同士なので油断して普通にしゃべっていたら、通話料がいくらになるかしれない。 バスの中ではガイドさんが中国の歴史について話をしていた。しばらくして、十三陵墓という歴代の皇帝を奉ってある墓跡に到着した。ここはその名の通り、中国内に13ある歴代皇帝の墓のうちの一つである。
それから、途中に石の店や昼ごはん、薬の店など(まぁおみやげ屋さんを回ったって幹事でしょうか)を回り、いよいよ万里の長城へ ここは写真を見てもらえば、特にコメントは要らないかな???まぁ思ったより急なところがあったって感じでしょうか?壮大なスケールを感じることができ、一度は行きたいところですね。ロープウェーで上っていくルートもありましたが、我々は写真ではわかりにくいかも知れませんがジェットコースターみたいなのに乗って上まで上がりました。
帰りには、こんなお土産があったので買ってきました。確か1つ20元(300円位)だったと思います。一緒のバスの人やOとまとめて5個位買って安くしてもらいました。壺のようにも見えるし、帽子にも使える(私の頭にもかぶれるサイズです)。
万里の長城からは、まっすぐ北京に帰ってきましたが、北京に近づくとやはり車の数が増えどこかしこも渋滞気味でした。 北京に戻ったのは17時過ぎ位だったと思います。時間があれば、天安門や故宮にも行きたいと言っていたので、Oがその側でバスを降りれるようにお願いしてくれていて、降りて地下鉄一駅乗って天安門前に到着。 しかし時間が遅かったため、外観から天安門及び故宮の外側の門を見たのみで、すぐに夕食に向かう。というのも、今日のうちに明日以降の現場となる天津に移動することになっており、北京オフィスのメンバーとも北京駅で20時半頃に待ち合わせをしていたのである。 昨夜食べれなかった北京ダックを食べに、再び隣の駅(王府井)へ。ここは繁華街で大きなデパートなどもあるところであった。最終日の夜はここに食べに来ようと言っていたのだが、これも結果的にかなわずであった。 北京ダックのお店として有名なお店に入ったが、入ったのは結局19時位であった。本当は違うお店に行くはずが、なかなか見つからず時間が無かったので、Oの持っていたガイドブックに載っていた店に入った。
本当はゆっくり食べたかったのだが、何せ時間がない。結局1時間弱で食事を済ませ、タクシーでOの泊まっていた宿へ。 30分位であろうか?宿にたどり着き、預かってもらっていた荷物を受け取り、再度タクシーに乗って北京駅へ向かう。20分位で北京側につき、車が混んでいて止める所が無いようなことをドライバーが言っていたので少し手前で降り駅に向かう。 何とか間に合い、Tと北京オフィスからの別チーム2名(EとL)と合流。会話は中国語になるので、OやTが訳してくれるもののタイムリーに理解できないのは、私一人である。 電車は20時45分(だったと思う)発だったが、なぜか遅れて結局1時間ちょっと遅れた。そのわりに出発は早かったので、我々は荷物を引きながら、車両内を移動していた。 まずびっくりしたのは、電車と聞いていたので、日本の田舎のローカル車両位のイメージでいたのだが、何と新幹線そのものであった。さすがに新幹線とはかかれていなかったものの、誰がどう見ても新幹線である!更に中に乗っても、まったく新幹線同様。席も結構混んでいたので、大荷物の我々はこの荷物をどうすればいいのかと思いながら車両を移動していたら、なんと急に車両がすき出した。よく見たら、日本でいうグリーン車ではないか。そしてその車両に我々の予約席があった。 北京オフィスが予約を入れてくれていたので、気を使ってくれたのであろう。 でも更に驚いたのは、その値段だ。確か50元か60元位(1,000円弱)のチケットだったと思う。これでグリーン車ということは、通常の席は幾らなのであろう?てっきり値段を見て、普通車両だと思い込んでいたし、そもそも車両にクラスがあるような電車だとは思っていなかったので、驚きとともにラッキーであった。 ただ、スピードは160キロ位(掲示板に表示されていた)だったので、日本の新幹線より遅い感じだった。1時間ちょっと位で天津駅に着く。天津駅といってもかなり郊外みたいな雰囲気で周りにはほとんど何もないようなところだった。 全員で5人になったので、バンタクシーでホテルに向かう。乗っている時間は20分位であろうか、比較的すぐホテルに到着。 さてさて、ここからが自分の場合は問題だった。昨夜パスポートがなかったことで宿泊拒否されていたので、今度はどうなるのであろうか?と他のメンバーの関心事でもあった(笑)。 すると意外や意外。パスポートのコピーですんでしまった。おそらくは、昨夜は個人での予約。今日のは、会社での予約であったため、信用の違いだったのであろう。今日直接天津に入っている上司も心配してくれていて、もしチェックインできない場合には連絡するように言われていた。その上司も上海に駐在していたのだが、今の北京の状況等を考えるとパスポートがないととめてもらえない事も十分に想定されるとの話であった。 まぁ無事チェックインもでき、明日からは仕事である。気持ちを切り替えていかねばならない。。。 |
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5月26日(月)工場で豆板醤を浴びる! |
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朝6時半に起きて、シャワーを浴びすぐに朝食に。実はここのホテル日系ホテルだが、大阪で泊まった際に相当朝食で待たされた(20分近く列に並んで待たされた)ため、早めに行ったのだったが、こちらでは全く問題なくすぐに席につけた。 7時半にロビーへ。現場先の会社から迎えのドライバーが来てくれている。現場は経済開発区とのことであり天津市内から80キロ離れているのである。普通だったら、当然80キロも離れたところに宿をとることはないのだが、調べてみるとその現場近くにはまともなホテルはないとのこと。キャンプで慣らしている自分は全く問題ないが、OとTは女性ということもあり、まぁ短期間とは言え、しっかりホテルで休めないのは辛いだろうということでこの80キロ離れたホテルに宿泊することになったのである。 どうしても市内と通過するため渋滞にひっかかり1時間半から2時間位は見ておいてくれとのことだったので、9時に現場着を目処に7時半に出たのだが、、、 思ったより道は混んでおり、結局2時間近くかかってしまった。しかもドライバーの運転はかなりめちゃくちゃだった。更に前の週から、なぜか自分の声もがらがらで普通に声をだせない状態であった。 さすがにひどい声だったので、現場の会社の社長さんがのどに利く薬をくれた。意外にこれが利いて、1日目でかなり楽になった。OやTも知っており、中国では有名な薬らしい。 一通りの挨拶や話を終え、午後に工場を見学させてもらったが、工場内を回っている際に大きな釜で煮込んでいるある食品が私に飛んできて、いくらかかかってしまった。工場の人は申し訳なさそうに謝ってくれていたが、まぁそういう場合を想定して作業着みたいなのを着ているので、大丈夫ですよ、気にしないで下さい と答えたものの、いざ見学を終えて作業着を脱いでみると、思いっきりYシャツについているではないか!しかもYシャツの下の下着にまで(笑) まぁこれも既にパスポートを無くしているわが身からすれば何て事はなかった。ただ、Yシャツを会社の人が洗ってくれるというので、午後からは、袖なしTシャツのような格好だった。周りがスーツ姿なだけに自分だけふざけているようであった(笑) 仕事を終え、帰り際に会社の人からせっかくなのでと食事に誘われた。よくよく見たら、火鍋と書いてあるではないか!ビール艦長の鍋を思い出し、やばやばのどがいかれている時にあんな鍋食べたらよりおかしくなってしまう。。。しかし、火鍋をよく知らなかったが、実は辛いのが火鍋という訳ではないようで、辛くない鍋もあったのでそこは大丈夫であった。ここで、ふと自宅や実家にパスポートの件を連絡していないことに気づき一応の連絡をした。また日中にOが仕事の合間を縫って必要な手続きを確認してくれていたので、親に北京の日本領事館宛に戸籍謄本のコピーをFAXで原本を郵送でお願いする電話をした。戸籍謄本なんて、本当に面倒である。 ここで1点軽いカルチャーショックだったのは、トイレが中国式であったことだ。ドアがないのだ。一見そこそこのレストランのように見えたので、一般的な西洋トイレが用意されていると思っていたのだが、何と中国式であった。とは言え、海でもしてしまう自分にとってはトイレットペーパーがあるだけで十分ではあるのだが(笑) おいしい火鍋をご馳走になり、再び車で1時間半の帰り道。出張なのに移動が大変だ!帰って、ネットにつなぎエジソンさんのお子さんの件を知りお祝い&現状報告の書き込みをしてから寝る(エジソンさん、おめでとうございます!)。 |
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5月27日(火) 平穏な一日 |
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朝7時半に起きる。 昨夜は会社の人にご馳走になり、時間も遅くなったため、先方から迎えの時間を遅らせましょうか?と打診してくれたのだ。確かに、これでまた朝6時半は堪えるなぁと思っていたので、ラッキーだった。1時間遅い開始となった。とは言え、本当に車での移動時間が長い。仕方ないことではあるが、これが1週間も続くとさすがにきついと思う。3日間だから耐えられるようなものだ。もっとも車の中では寝てしまうこともしばしばであったが(笑) 仕事の合間にOがいろいろと必要な手続きやパスポートが見つかっていないかなどを調べてくれている。本当に申し訳ないことだ。今回の件でOにはかなり負担をかけてしまった。 上司が昼過ぎに帰ったのだが、その際にこちらで使えるプリペイド式の携帯電話を置いていってくれた。我々の事務所の携帯も海外でも使えるのだが、通話料が異常に高くなるのは目に見えているので、国内用の携帯をおいていってくれたのだ。その際には余り気づかなかったが、やはり気楽にかけれる電話があるのは後々非常に重宝した。 夕方というより夜という時間になってきたので、そろそろ撤収する。いよいよ明日は最終日なので、TやOの進捗状況を確認する。 帰りの車の中で確認するが、申し訳ないことに眠くて眠くてTがいろいろと話してくれているのだが、意識が朦朧としてきて…ごめんなさい、という感じだった(笑) ホテルに着いたのは22時ちょうど位であった。近くに食べるところがなさそうなので、軽くタクシーに乗ってレストランを探す。メンバーの顔を見ると、やや疲れが出てきた感がある。 早めに食事を切り上げようと思っていたが、結果的に0時過ぎに。その後急いでホテルに戻り、就寝。特にこれといったことのない、平穏な一日であった。 |
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5月28日(水)天津最終日 |
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ホテルをチェックアウトするが、自分の宿泊証明がいるとの話で(結果的には使用せず)、発行をお願いしたが、権限者がいないとのことなので夜帰りに取りに戻ることに。 せっかくホテルに戻るなら、大きな荷物は預けておこうということになった。現場を18時頃に出て、20時前位にホテルに戻る。 行きとは異なり、帰りはタクシーで北京まで帰ることになっていたので、時間の節約も兼ねて、ホテルの隣のビルにあったマックで適当に買って車内で食べる。 23時前に北京のホテルに着き、チェックイン。北京ということで、チェックインについては不安はあったもののこちらも会社での予約だったためか、パスポートコピーで大丈夫だった。 ホテルにチェックイン後、すぐにOとTと公安へ向かう。まずはパスポートの紛失証明をださなきゃいけない。パスポート紛失に対応する公安はどこでもよいわけではないらしく、それを聞いていたので、それなりの立派な建物にでも入っていくことを想定していたのだが、実際は立派な門はあったものの、その門の脇にあるちっこいまるで見張り番のためのスペースで手続きはすんだ。 本来はいろいろと大変なのであろうが、こちらは中国人がいるので、Oにまかせものの10分、15分程度ですんでしまった。 公安前にて(この門の脇のスペースで手続きは終了した)
それから、Tは友人宅へ行くというので、Oと二人でタクシーで帰ることに。そこで、Oがライトアップを見に行く?と行ってくれたので、天安門へと向かう。しかし残念ながら、天安門はライトアップされておらず、じみぃ〜な感じだった。ドライバーが言うには、時間帯が遅すぎるとのことであった。現地時間で夜中の0時を過ぎていた。それから、オリンピックまでに仕上げるとされている(中国で)話題となっている斜めに作られているビルを見て、ホテルに戻る。 いよいよ明日は帰国予定日。飛行機は13時半発である。大使館での手続き、間に合うか???今日の公安でのスムーズな手続きから、明日の帰国はいけるとほぼ確信していた。 |
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帰国編(5.29〜6.5)へ |